2022年11月26日土曜日

私の履歴書11【カフェに投資したら、売り逃げされた】


2002年頃。
「なあ、H君。将来の夢とかある?」
こう聞いたのが間違いの始まりだ。

Hは私が雇った最初の運転手だ。
当時25歳ぐらいだったろう。
ブ男だったが、割と気が利くタイプだった。

彼に投資、全権委任し、カフェを開くことにした。
Hは運転手を1年足らずで卒業し、カフェの雇われ社長になったのだ。
雇われ社長といっても、名義人はHだ。(これが問題)

cafeの場所は、5区のTran Phu通り358番地。
番地名まで覚えているのは、カフェの名前をそのままCafe358としたからだ。
店は、コーヒー1杯3,000ドン程度のいわゆるローカルカフェ。
客層はショボく、近隣の10代の若者やオッサン達だ。
彼らはコーヒー一杯で何時間も駄弁り、テレビを観ている。
お客の半数以上はニートだったと思う。

私は自分の持ち物であるデコレーション雑貨を店に飾ったりしていた。
週に2回以上は友人やスタッフを連れて店にコーヒーを飲みに行った。

客層が95%以上男なので、カフェの従業員は全員若い女の子だ。
Hは、なるべく可愛い子を雇い、全員にミニスカートを穿かせていた。
地方から出てきた女の子は店の中二階に住み込んだりしていた。
Hはオーナー?店長の権力をかざして、そういった女の子に手を出していたようだ。(後にスタッフから聞いた)

それは、私が有限会社を設立登記の手続きのため日本に一時帰国している時だった。
スタッフから国際電話がかかってきた。
「あのカフェ、もうH君いないよ。カフェに行ったら、オーナーが変わったとカフェの店主(新しいオーナー)に言われた。H君売り逃げたんやわ。」
「...そうか、わかった。今俺にできることはないから、ベトナムに戻ったら...」

ベトナムに戻って、カフェに行ってみると、看板が変わっており、Hは居なかった。
当然のごとく、Hに連絡はつかなかった。

ベトナムで小規模店舗ビジネスの居抜き営業権譲渡は、普通によくある話だ。
Hは私が日本にいった隙きに、カフェの権利を売って現金を手にして逃げたのだ。
カフェの営業は苦労の割に大して儲からないので、手っ取り早く大金?を得たくなったのかもしれない。

結果的に、Hは泥棒であり、悪人だった。
こんな奴に関わってもろくな事はなさそうなので、私はHを積極的に探さなかった。
全権委任する時点でこういった事が起こることは織り込み済みでもあった。

ベトナムでこういった店をやらせる場合、登記簿オーナーと店長は別人物にしたほうがいい。
また、オーナーとなる人物の実家の家族と交流し、顔見知りになっておくべくだろう。
魔が差すことは誰にでもありえるのだが、ハードルはできる限り高くしておいたほうがいいのだ。

イージーに悪さができてしまう状態を作ると、自分の為にも、相手の為にもならない。
ということを実体験として学んだ。(賢い人は実体験など必要ないが)

こんな事があってから1年後くらいだろう。
Hが私に連絡してきたのだ。
我々は、カフェで会った。(もちろん358カフェで、ではない)
Hは、あのカフェの事は悪かった、また違うビジネスをしたいので金を貸してくれないか、と言ってきたのだ。
完全に私をナメており、お人好しのバカだと思っていたのだろう。
私は彼の目をジロリと睨んで言った。
「担保として実家。親の保証サイン。前のカフェの投資金も合わせて金利は月10%。今からお前の親の住んでる家に行こか。」
「...」
これがHとの最後の会話だった。

長年ホーチミンに住んでいる私の体感。
ベトナムは凶悪犯罪は少ないが、窃盗などの軽犯罪は多い。
スリや引ったくりを場当たり的に行なっている奴らも結構いる。
サンダル履きで引ったくり、走って逃げていくのを見ると、何で靴履かんねん!と思ってしまう。

持てる者は持たざる者に与えるべし。
→持てる者から盗っても問題なし。
→油断してる者から盗っても問題なし。
→盗られる奴が悪いだけ。
泥棒が多いのは、こういった考え方の人達が一定数、まあまあいるからだ。

盗る奴が悪い!という日本人的思考は、世界的には非常識だ。

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