2022年11月15日火曜日

ホーチミン駐在の実態2「帰任はつらい。また戻ってきたい国、ベトナム」


の続き

第一勧銀駐在員事務所長B氏(50歳ぐらい)
日本人はB氏1人の駐在員事務所で、ベトナム人秘書が1人だけいた。
B氏とは麻雀以外で付き合いはなかったが、秘書が私の女友達の友達だったので、彼の話はよく耳に入ってきた。

当時は日本人1人と秘書1人みたいな駐在員事務所が結構多かった。
1人駐在員は基本的に暇だ。(本人のやる気次第ではあるが)
常に差し迫った仕事はない。(だから少人数なのだ)
銀行の駐在員事務所は、体裁の為に開けている。(と言っていた)

B氏が日本でどんなポジションだったかは知らないが、出世コースに乗ってないことは明らかだ。
本人もそれは自覚していたはずだ。(40前には行員人生の行く末は確定している)

ということで、B氏は潔く羽を伸ばして駐在員ライフを満喫した。
平日からゴルフ三昧。(週3日以上行ってたようだ)
たまに麻雀やキャバクラ。(たしなむ程度)
こういった遊びは全て接待や市場調査の為に必要だったらしい。(後に、みずほが支店を出すとき役立ったのかな…)

B氏にはベトナム人彼女(愛人)がいて、かなりハマっていた。
彼女は高身長でかなりの美人だった。(ハマっても仕方ない)
国立大卒で、賢く上品だったらしい。
帰任前に500万円ぐらいの家を買ってあげたと聞いた。
持ち続けていれば、今なら億の価値はあるはずだ。

B氏は帰任後も時折ベトナムに遊びに来ていたらしい。
彼女に会う為だろう。


JALホーチミン支店長O氏(50代後半)
ホーチミンの日本人社会の中で古株だった。
麻雀以外で全く関わりがなく、打ったのは数回程度だったと思う。
記憶にあるのは、セコイ打ち方だったということだけだ。


ここに書いた登場人物の方々は、だいぶ前に定年退職され、今は悠々自適な年金生活者となっているはずだ。
テレビでベトナムの事が流れるたびに、ホーチミン駐在時代を懐かしんでいるだろう。


*写真は、1区トンドゥックタン通りにあるThe Landmark Tower。
ホーチミンで最初にできたA級オフィス兼サービスアパートメントだ。
当初数年間の賃料は平米100ドル以上で、2年かからず投資回収したビルとして有名だった。
第一勧銀B氏はここに住んでいた。


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