2001年末頃だったと思う。
雑貨店ememをオープンさせた同時期に、このお店LOTUS HOUSEを開けた。
この店は刺繍関連商品を専門的に扱った店だ。
ホーチミンは観光客向けホテルが市の中心である1区に集中しており、観光客向けのショップ等も1区にかたまっている。
観光で歩く範囲は限られており、数時間あれば市内全部の土産物屋を見回ることができる。
そんな中で1人のオーナーが同じ商品構成の雑貨店を開けても売上は偏ってしまうのだ。
当時私は、BUTTERFRY26とememという2つの雑貨店を同時に経営していた。
2つの店にはなるべく違うモノを、とは分かっているが、観光客に売れ筋の商品は決まっており、どうしても似通ってしまうのだ。
ちょっとカニバってるなぁ、と感じていた。
そこで、この店LOTUS HOUSEである。
名前だけ違う同じ店はできない。
専門店にしてブランディングを図ろう。
そんなコンセプトでオープンした。
パスター通りでだ。
結果はタイトル通りで、失敗。
3カ月程度で撤退した。
既存の雑貨店で刺繍関連のグッズは売れていたが、専門店にすると駄目だった。
私の店の客層は観光客で、その数はたかが知れている。
刺繍物を買いたいお客は更に少数だ。
家賃あたりの客入り数や売上比較で既存店と比べ駄目だったと記憶している。
立地も思ったより良くなかったのだろう。
あと、早期に辞めた理由がもう一つ。
この店は部分な又借店舗だった。
物件を借りてる日本食レストランオーナーからの又借である。
織り込み済みではあるが賃料が割高だったし、何よりも細かいことでレストランオーナーのベトナム人嫁とうちのスタッフが揉めることが多かったのだ。
電気水道代を上乗せ請求してくるとか、そんな話だったと思う。
ちなみに、この日本食レストランは、『おはん』だ。
2000年前後にホーチミンにいた駐在員なら、絶対に行ったことがあると思う。
起業してから1年半で5か所で雑貨店を開き、うまくいったのは2店舗だ。
結構失敗してるようにも思えるが、駄目だった店は規模が小さかったのが幸いだった。
この頃、私の会社は起業時に借りていた200ドルのショボい家から、1500ドルの場所に移転していた。
会社は5階建ての一軒家ビルだ。
刺繍と縫製スタッフを雇い始めたのはこの時期だ。
雑貨輸出の仕事はそれなりにあり、日本人スタッフも1人雇った。
店舗を合わせれば30人ちょっとを雇っていたはずだ。
といっても当時の従業員の給料は激安なので威張るような話ではない。
この時点で私の手取りは、月に5000ドル~8000ドルぐらいだったと記憶している。
やっと同じ年の商社勤務の友達に追いついた感じだ。
しかし、こっちは来月の利益保証などない零細自営業。
利益が少ないだけではなく、損をする可能性も高い。
サラリーマンと比べたら、最低でも3倍、いや10倍ぐらい稼がないと割が合わない。
これじゃぜんぜん足りねぇ、、、もっと何かやらないと。
29才の私はそう思っていた。
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